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7月2日の吉本さんの踊りは、ぼくには、調律のある音楽が無調へ、音楽の 形態をもっていた音がジョン・ケージ的な音/無音/ノイズへと解放される プロセスを体験するかのようなスリルに満ちたものでした。 吉本さんのロマンティックな仕草を見たいという願望を持つ者(ぼくもその 一人ですが)からすると、あまりに実験的/過程的すぎたかもしれません。
しかし、それをあえて抑えてチャレンジされる姿を見るのは、感動的でした 及川さんの話では、ダンサーを褒めるとダメになるとのことですが、プロフェッショナルなアーティストたる者、そのときまずかった部分は自分でよく 承知しているはずです。それに、吉本さんがいまさらダメになるもならないもないわけですから、その最も能動的な部分を指摘する方が意味あるようにぼくには思えます。その意味で、ぼくは、最大の讚辞を呈したいと思います
あそこまで来ると、次回がどうなるか楽しみであると同時に不安でもあります。あれをただ「洗練」させてもつまらないでしょう。だから、見る側としては、あれは、結局、あのときかぎりのものだと思うこと、そして、そういうチャンスに立ち会ったことの幸運を喜べばいいのでしょう。
 来年のことはまださっぱりわかりませんが、それとは別にいま夢見ているのは、雪の東経大キャンパス(ただし学生がいる時期であること)で踊っていただくことです。大学期間内に雪が降るということがそう確率が高いことで はないということも面白いと思います。今年の12月に雪が降れば、チャン スです。一度考えてみてください。

  大学が休暇に入ったので、ぼくは自分の仕事に専念するつもりです。8月5 日には、吉本さんには未公開のままになっているElector-waving ( http://anarchy.k2.tku.ac.jp/kinesonus/ ) のパフォーマンスを渋谷の小 スペースでやります。見に来てくださいと言いたいところですが、やはりご招待するのはやめましょう。

では、またいずれお会いできるのを楽しみに。くれぐれもご自愛ください。

粉川哲夫

 今朝方のメールは、ジョン・ケージ云々のところが不正確なので、公開してよいかと言われると、迷いますね。しかし、このメールもいっしょに読んでもらえれば、誤解されないかもしれません。ぼくが言いたかったのは、音なり文化なりが根底から変わる過程ですね、そういう過程に似た瞬間にたちあう悦びを感じさせられたということです。あ のときの音楽はジョン・ケージ的だったわけでも、ノイズ的であったわけでもないのです。(そうだったら、迷わずぼくらの実演にご招待するところですが・・・)マーラーの音楽が、晩年、12音的に「崩れて」いく個所がありますね。むしろ、そういう「崩れ」の瞬間でしょうか・・・。
 昼間は頭が動かないので、いまはことへんでやめておきます。

では。

粉川哲夫

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