嬰児(みどりご)の夢

   ── 徐承我舞蹈公演『翠の卵』を觀て                   那岐一堯


 蒼天に陽の光が溢れてゐた午後の空から、ちらちらと白いものが舞ひ降りてきたのは、まだ午後も早いころだつた。東京はここ数年連続的に襲いくる異常気象で、三月の二〇日過ぎといふのに、櫻の花が今にも開花するばかりのポカポカ陽気がつづいてゐる。その東京から飛行機で一時間と少し、北海道は札幌に降り立つて、意外に暖かいと油断したのも束の間、雪交じりの雨が降り始めると、さすがに寒い。その寒さがじんじんと深くなつて体も冷えてきたころ、徐承我の舞台は始まつた。幸ひに大型ストーヴによる暖房が入つてゐて、凍えるやうなことはなかつたのだが。
 承我の舞台は、まづ全体の構成がシツカリしてゐて、よくできた作品だとの印象が残る。踊りも丁寧で、照明と音との連繋にも問題がなかつた。見終はつて、ホツとした。それは一種の親心からである。破綻なく無事に舞台を勤めあげたことに、心から祝福を贈りたい気持なのである。とても爽やかな、いい舞台だつた。
 だが、観客のわがままと無い物ねだりを承知で言ふならば、心を拉致し去つて押し流してしまふやうな感動はなかつた、と言はねばならない。せつかく営々と丁寧な動きを積み重ね組み立てて、さて舞踏家は結局のところ何を言ひたかつたのか、何を訴へたかつたのか、それが伝はつてこないのだ。いま仮に「何を訴へたかつたか」と言ふしかないのだが、言葉で何と表現できなくともよい。何か、言葉以前の感情とか、感興とか、思ひのやうなものでもよい。舞踏が観るものに与へる、何か熱いもの、深いもの、それが欠けてゐたやうに想はれるのである。
 観客は欲張りで、かつ残酷である。舞踏家がどれほどの稽古と修練と精進を積み重ねてきたか、それには無関心である。ただ、幕が上がつて照明が消えるまでの舞台のほんの短い時間が、すべてである。その短い時間の中で、舞踏がごく稀にもたらしてくれる奇跡は、今回承我の舞台では訪れてくれなかつた。
 舞踏の奇跡とは、何か。それはまだよく分からない。しかし、これまで決して多くはない感動を確かに経験したことを考へ直しつつ、あへて喩へてみるならば、舞台の途中で、まづ観る者の心の壁のどこかがズルツと崩れ落ちる。舞台における踊りの進行とは無関係に、何か切迫して追ひ立てるられるやうな雰囲気が襲つてくる。やがて、心の中の壁のあちらでもこちらでも、勝手に肉が剥げ落ちて、崩れた肉片が溜まつてくる。それとともに、肉の剥げ落ちた跡の傷口からとろとろと体液が滲み出てきて、心の奥深く冥い底に溜まつてゐる。どうも、この心の中に溜まる体液が感動といふものの正体であるやうな気がするのである。
 承我の舞台に感動がなかつたといふのは、酷評に過ぎるだらう。といふのも、心の中の感動の液汁は、たしかに溜まりつつあつたからである。この感動の液汁は、心の中に溜まりに溜まつて、もはや収まりきれなくなつても、心自体が膨張し、さらに分泌しつづける液汁を収めることができる。そして、この時にはまだ、感動は自覚されない。
 心はこの状態で、飛躍の一瞬を待つてゐる。ちよつとした手の動き、あるひは口の形、眼差し……、それが決定的な感動へと跳躍するキユウとなる。すると、心の中に溜まつた感動の液汁は、一挙に心をぶち割つて溢れかへり、観る者の体の隅々にまで染みわたつて、浸し尽くすのである。そのとき観客は、みずからの来歴のはるか彼方にあつて本人すら忘れはててゐるやうな辛い体験や、あるひは至福の思ひや、残虐の念や、あるひは父母未生天地未生とでも形容するほかないやうな心の奥底に秘められたさまざまな体験を、一瞬のうちになぞり返すことになる。この瞬時にして厖大な量の体験をなぞり返すときに、同時に襲つてくるのは深い癒しの想ひであり、すべてがこのままでよいといふ満ち足りた感情であり、そしてなによりも感謝の気持ちである。踊りのすべてをこの私のためにこそ踊つてくれたのだと信じて疑わない、祈りにも似た感謝の気持ちである。
 承我の今回の舞台は、おそらくは半ばまで溜まりに溜まつた感動の液汁を、さらに溜め募らせて、そしてつひに溢れさせるといふところまでには至らなかつた。
 さながら作品の基調のやうに低く流れてゐた韓国語の語り(パンソリと言ふのださうだ)が実に良かつた。この音楽が感動を準備するうへで、大いに与つて力を尽くしたといふことができる。だが、この音楽を踏まへ、最後の一点で切れてしまへなかつたところにも、感動への跳躍を阻んだ原因の一つがあるやうに想はれる。
 舞台衣装として、緑色のブルマー状の短穿(カボチヤ・パンツと呼ぶのださうだ)を、舞踏家は終始履きつづけて、白塗りの脚を晒すことはなかつた。そして上半身も、はじめ身につけてゐた蓑虫の殻のやうなゴハゴハとしたものを脱ぎ捨てた後でも、乳帯を着け、首から腕にかけて蔓草を巻きつけて、肌を顕はにすることはなかつた。舞踏家土方巽が、「舞踏とは突つ立つた屍体である」と看破したやうに、舞踏の誇るべき発見のひとつは、白く塗りこめた裸形の肉体がもつ生々しさ、禍々しさにある。ただの裸形の肉体、そこには、途方もなく不気味な力が孕まれてゐる。
 それは、ギリシア古典彫刻に範を仰いだ西洋近代芸術の調和と均整を規矩とする美の様式とは明らかに異質である。西洋芸術の本流は、あくまで刹那において完成を見る調和と均衡とを極限まで追求することにあつた。わが日本の芸術は、永遠の時間における一瞬を限られた形式のうちに実現することに主眼がある。日本の芸術においては、美は完成ではなくして、始まりなのである。作品それ自体のうちに豊穣な自然の美を体現するなどといふやうなことは、想像だにできない不遜であつた。むしろ、その豊穣へのほんの糸口であること、さうした謙虚な姿勢がわが芸術の基本姿勢だつた。日本近代の芸術は、西洋の調和と均衡の美に圧倒され、劣等感に苛まれながら、物真似の道をとぼとぼと歩き続けたのだつた。だが、西洋芸術におけるシユールレアリズムの登場によつて、均衡と調和とが破られても美といふものがなお実現できることを知つたとき、舞踏は自らの肉体のいびつな、奇形ですらありうるやうな姿勢のうちに、途方もない美の源泉を再発見したのだつた。
 さればこそ、舞踏家は舞台以前の日ごろから、肉体を削ぎ落とし、磨き、造形する。その肉体をもつて、舞台に立つ。もちろん、舞台の衣装もあつてよい。だが、舞踏の中心は、造形された裸形の肉体を白く押し包んで立つといふことにあるやうに思へてならないのである。今流行の言葉で言へば、舞踏とは、肉体の原理主義だといへるかも知れない。
 徐承我の舞台「翠の卵」は夢の中で祖母が語つた「おまへは翠の卵を食べなさい」といふ不思議な言葉に対する答へとして、さまざまな創意工夫を凝らした優れた作品であつたといふことができる。人が家族といふ縁に結ばれてゐることの深い思ひを、丁寧に造形して見せてくれたことの意味は大きい。
 だが、さらにこの作品を完成させるためには、作品としての破綻を怖れず、祖母の愛の奔放さに見合ふだけの、いやそれを遥かに凌駕するほどの奔放な「嬰児の夢」を、白く塗りたる裸形の肉体の形に結ぶことではなからうか。舞踏が懐胎される半世紀ほどもまへに、夢野久作が『ドグラマグラ』で紡いで見せた「嬰児の夢」を、いとも易々と越えてしまふほどの元気は、もともと舞踏の持ちあはせてゐるものだと思ふのである。


 home pastpagetop
next