彼の力は不動と痙攣の間の緊迫感、自身の肉体に果たした闘いと機械的な軍隊行進曲との対照にあった。最終場面での衣装から解き放たれた舞踏家の肉体は、その恍惚を極める動き、劇的な姿態は、見るものの目を釘ずけにし、何かとてつもなく内密なもの、芸術と生の境界に立つ何か死の謎に触れるもの接している感覚を覚えた。1950年代に起こった舞踏の創始者たちは、自国の伝統様式の拒否、欧米のマス文化の影響拒否。そして日本の土着神話、アルトーとドイツ表現主義の理想に結びつき、全く新しい表現言語を創造。狂気と背中合わせの日本人の暗い内面をさらけ出した。激しい感情による操縦、醜悪による先導、観衆に対する挑発、舞台構成での即興との取り組みにより人間の無意識下の低層への到達を可能にしようとしたのであった。
「死の賛嘆と祭礼」
10/25 Gazect Wyborcza 紙 (スタリィ劇場、クラコフ市)
評論家によると、今日に至るまでになされた、無意識下に隠された感情を演劇的形式に移し変える最も大胆な挑戦である。芸術家の肉体がその材料である舞踊、舞踏の作品は非常に大きな緊張感、活動の集中性、観客に対する挑発性に特徴ずけられている。吉本の作品が、それを生の終末である必要はなく単に人間の肉体の体験の一つに過ぎないとする死についての物語である。生の重要性を意識させる高らかなる死の称賛を舞った。
「生と死の踊り」
10/26 Gazect Krakowska 紙 (スタリィ劇場、クラコフ市)
−日本のクラコフ、Manggha ヤシェンスキとカルロ・フリチの霊はヴィスワ河畔での東陽再発見に喜ぶ−
老いが訪れる。老いと向き合うため白い衣を打ち捨てる、ライトの中裸身で立つ、肋骨の一本一本、疲労で震える筋肉の一筋一筋が見える。突然音楽が断ち切られる。瞬間、舞踏家は生の彼岸に渡って行った。この非常に強烈な緊張感に満ちた、誕生と生と死の物語は極限の感情によって造りあげられている。練り上げられた動き、精密な身振りの一つ一つが観客席に震撼を走らせる。
一見何も起こっていない。少なくともヨーロッパのドラマの理解方法によれば、踊り手はとてもゆっくりと手を上げ、次にもう一方の手を上げ、数歩移動し、しゃがみ込む、何も起こっていない。が、一分一分緊張の度合いが増してくる。それは舞踏家が時間の流れを変え、ざわめく観衆を一時の内省に引き込んでしまったからなのだ。