柴田韓国日記5.23〜6.3
今回もレポートを提出したいと思います.
ポーランド日記を読み返してみるとだんだん内へ内へと入っていってしまう様子が読み取れます。それが何なのかは自分でも良くわかりません。
自分自身振り返りつつ、書き込みしたいと思います。同じく汚い表現は省いて、優雅に。
5.23飛行機の中にて。
飛行機の翼の上を行け、高度一万メートルの空の青さに訊ねてみろよ。
自由っていったいなんだって、自由っていったいなんだって。
吹き飛ばされちまいなお前、生まれ変わるときだ。
・・・・ここから26までの記録を紛失していました、なので記憶をたどりこと細かく書き込みます。
(大輔さんと空谷さんは東京から、俺は一人で札幌から大韓航空機にのってインチョン国際空港に到着、空港で合流するとはわかっていてもずいぶん緊張していました。案の定、出国手続きに必要なオレンジ色?の紙に必要事項を書き込んだ上で提出しなければならなかった、俺は知らずに人の流れにのってどうやら出口についただろうかと思っていたら、どうもそれが必要なんだということに気がついた。たくさんの人たちを並ばせる係りの人がいた、豚のお尻を叩いて誘導する酪農のおじさんみたいだった。その人に身振り手振りでどうすればいいのかと尋ねてみると俺が書いてやると言わんばかりに書いてくれた。不安ながらも、なんとかなった。よく調べてからでないと乗るのも降りるのも一苦労だ。。みんなまっているんだろうなと急ぎ足で飛行機から下ろした荷物をさっさと受け取ってから出口へ向かう、ああ!スンアさんだ!待っていてくれていたのだ。俺は思わず飛びついた。良かった、ひどく心細かったものでした。入り口で待っていてくれたのは、スンアさんと通訳の学生さんヨンジュと女の人が二人。最初は日本の人なんだろうかと思うほど区別つけようのない印象だった、同じアジア人なのだ。横浜で一緒だったメンバーがみんないた、大輔さん、空谷さん、スンアさん、市川さん、それからスンアさんの旦那さんの大輔さん、娘さんのあつきちゃん、ああ、どうやら俺は本当に韓国についたようだ。ほっと、胸が落ち着いた。それから、大阪からきたというイイムロナオキマイムカンパニー(間違ってたらごめんなさい)の方々と合流して同じバスに乗り込みインチョンから、ソウルを抜けて冬のソナタの舞台になった街、チュンチョンまで移動、スンアさんは迎えに来てくれただけで一緒にバスには乗り込まなかった、次の日に本番があるのだと聞きました。スンアさんのスケジュールは大忙しだ。5時間ほどバスに揺られて到着しました。韓国の旅館にはみんな温泉マークが必ずついている、あれはなぜなんだろう??通訳のヨンジュに尋ねてみたけど、知りませんといわれてますます気になった。もう夜になってしまったことと、通訳の学生さんがチュンチョンの学生ではないこともあってか、どの旅館なのかわからずに三軒ほど探し回って夜の11:00近くになってやっとたどり着いた。おお、暑いし、疲れた。。荷物を置いてから到着したという報告とスケジュールの確認のために歩いて五、六分ほどの距離にある人形劇の劇場で青い、楕円形の建物の裏側にある建物で大輔さんが会議に行った、スンアさんの大輔さんも、それから空谷さんは英語の通訳で。市川さんと俺が外でみんなが帰ってくるのを待ちました。それまでみんなご飯を食べていなかったのでおなかがぺこぺこで、市川さんが劇場周りにいた若者に飯屋はないか聞いてみようと市川さんがやたら元気なので俺はなんだか緊張して身が引ける思いでした、で、しばらくしてみんな帰ってきてタクシーにのって街まで出てご飯を食べた、マッコリというお酒が良く覚えている。それから、やっぱり飯がとにかくからかった。食べ終わったら、またタクシーにのって旅館へ帰って眠りました。次の日は朝目覚めてから走りに出かけた。受け取っていた食堂のチケットでご飯を食べて、今回の会場になる島まで男三人、大輔さん、空谷さん、柴田で移動。二人は高足の練習、俺は芝生をぐるぐる走った。何時だったかなあ、4時だったかと思います。劇場前に集合して今回のフェスに参加するアーティスト達全員が何台かのバスに乗り込み韓国のお寺に招待してもらった、聞けば毎年そうだという。写真に収めたので横山さんに渡すので、ホームページのほうへ載せてくれるのではないかと思います。、お寺、とっても良かったです、大輔さんはやっぱりたいしたことあらへん、といっってたけども、その国その国の宗教に触れるとなにか、匂ってくる感じがします、文化というものが。日がまだ沈まないうちにお寺に入ってご飯をいただきました、からかった。それから一番上の階まで上り、韓国のおぼうさんのお説教を受け、影絵の人形劇を披露してくれました、終わったころには日が沈んでいて お寺中に張り巡らせられている提灯に灯かりが燈っており、幻想的な景色に変わっていました、韓国人のいじらしい演出、胸がジーンとする美しい風景、きれいでした。それから、バスに乗って帰り旅館で眠りました。25日、何か大事なことがあったような気がするのですが思い出せません、なんてこった、練習をしていたのは確かです、ごめんなさい。)
5.26
昨日は10時半に起きて45分には走りに出かけた。フィルム一本分の写真を撮った。12:00には帰ってくる。
劇場そばの食堂で飯を食べる、カレーとキムチだった。それから、橋を渡って島に着いた。
大輔さんと空谷さんが高足の練習をするのを見守る。
3:00に劇場まえでヨンジュ(今回、大輔さんについてくれた24歳の学生さんで日本語の通訳をしてくれました)と約束をしていたけれど4:00にやってくる。それは韓国のチームが予定よりも早くチュンチョンに着いたためだった。キムキウン、サンヒョ、チャンヒバン、ミンフィー、と合流した。それから島を見に行った。
韓国についた日の晩、つまり2日前に市川さんが近くに飯屋はないのかと劇場まえの人たちに話しかけたとき話した。ウィ(ちゃんをつけろと自分で話していました)ちゃん、ターウン、彼女は自分をサリーと呼んでくれといいました、とても快活な人たちが、4:00までまっている間にちらほら現れてはおしゃべりを試みてみた。
とにかく、島でしばらく練習した後劇場まえまで戻ってくる。二本たいまつをつくる。奥のほうにある青いテントの中で白塗りの準備をした。20:40からパレードスタート(パレードだと韓国の人たちは言っていて、春川マイムフェスに参加する芸人さん達の芸を十五分くらいに切って連続して進めてゆくというものだった)狭い会場にたくさんの人が集まった。
バイクの人たち(文字道理バイクである、二台だったかな細い道をぶんぶん大きな音を立てて走り回っていた。)が終わると僕らの出番。僕は上手(劇場で使う言葉で舞台を正面に向いて右側を上手、左側を下手、といいます)、空谷さんが下手、そしてセンターに市川さん。大きな太鼓の音が僕らを、間違いなく会場の人たちもを刺激した。(サンヒョがふんどしを締めて白塗りに屈んだ姿勢で背中に太鼓を背負って下に三メートルぐらい掘った円錐状の舞台の緩やかな階段を下がって凄い人数の人並みをかき分けて入って行き、ステージにたどり着いた、センターに太鼓を置いた後その場にしばらく止まっていた)空谷さんは予定どうり転がってまえへでた、俺はゆっくり進んでゆく。そのうちに大輔さんが高足姿で現れた、たいまつをもって。
俺は良い頃合でまえに思いっきり走った。走った。体がふわふわして地面に足をつけていないような感覚。
壁にぶつかって転がる。そのまま下手のほうえ走った。また戻って今度は舞台中央へ、サンヒョがゆっくり動いている。空谷さんが壁の上から現れた。大輔さんが「柴田、もうかえるぞ」といったような気がした、でも俺はうまく聞き取れなかった。けれどもそういったような気がして客席の中を無理やり割って帰っていった。みんなキャーキャーいってた、楽しかった。
終わったあと、市川さんがすごく満足そうな顔をしていた。空谷さんとサンヒョもかえってきた。チャンヒバンもキムキウンもミンフィも。通訳のヨンジュは疲れてた(ずっと疲れてました、四六時中)で、その後白塗りの道具をかたずけた。そのころには、春川マイムフェスティバル参加者全員によるパレードが終了していた。ホテルに帰った。俺と空谷さんと市川さんとで飲む 大輔さんが部屋までやってきた。今日はどうだったんですかね?とたずねると。俺にとってはうがいしてぺっと吐き出すようなものだ、明日からが本番なんだから。という。うーーーん、かっこいい。
僕らの出番が終わったあと、とにかく片付けを始めなければならなかった。でも、俺はすっかりふらふらになってしまって。気が気じゃないというか、ボウっとしてしまっていた。空谷さんがてきぱきと片付けてしまった。で、俺もとにかく片付ける。終わった頃にはパレードが終わっていた。顔を洗った、でもきれいにはとれない。どこか別の場所で参加者達が集まって飯を食っていた。俺もそこまで行って飯をもらった。
5/28
今日はもう終わった。後は寝て明日に備えるだけ。今日のことを振り返って詳しくこれから書こうと思う。
今日はまず朝10時に目が覚めて、11時に部屋を出る。劇場そばの川まで出て、ノートを開いて、この文章を書いている。それから食堂まで行く、飯をたべてから、1時に集合。たいまつを17本作る。竹を切って、少しだけ短くしたものを、この劇場の周りにある街灯にくっついていた変な人形を先につるしたものを空谷さんが作っている。あと、棒の先に2つのチェーンをつけたものを、2本。俺は、キムキウンとチャンヒバンと市川さんと17本のたいまつを作った。完成した後、3時に島へ向かった。....
柴田